「ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争(下)」(著:デイヴィッド・ハルバースタム)

それぞれの誤算

 すべての戦争はなんらかの意味で誤算の産物かもしれない。だが朝鮮では戦争当事者双方の重要な決定のほとんどすべてが誤算に基づいていた。まずアメリカが防衛範囲から朝鮮半島を外し、これがさまざまな共産側当事者の行動を誘発した。ついでソ連金日成の南への侵攻に青信号を出した。アメリカの参戦は無いと確信したのである。アメリカは参戦した。そのときアメリカは、立ち向かう相手の北朝鮮の能力をひどく過小評価する一方、初めて戦闘に赴くアメリカ軍部隊の準備態勢を法外なまでに過大評価していた。アメリカ軍は後に、中国の度重なる警告に注意を払わず、三十八度線の北に進撃する決定を下した。

 それからこの戦争における単一では最大のアメリカの誤算があった。マッカーサーが中国軍は参戦しないと確信したゆえに、はるかに鴨緑江まで進撃することを決め、自らの部隊をこのうえなく無防備な状態にさらしたのである。そして最後は毛沢東だった。かれは兵士の政治的純粋さと革命精神がアメリカ軍の兵器の優位(そしてその腐敗した資本主義的精神)よりもずっと重要であると信じ、そのために朝鮮最北部での緒戦の大勝利の後、部隊をあまりにも南下させすぎ、その過程で恐るべき損害を出した。

 しばらくの間、望むものを手にしたのはスターリンただ一人だったかのように思われた。スターリン毛沢東のチトー化と中国がアメリカと手を結ぶ可能性とを恐れ、中国がアメリカと戦う決意をしたことに少なからず満足だった。しかし、冷血で計算高いスターリンでさえ、何回か誤算を犯した。かれは最初、アメリカの参戦はないと考えていたが、アメリカは参戦したのである。ソ連の傍観するなかでアメリカが中国と戦うことにスターリンは当初、不満ではなかったかもしれないが、ソ連にとっての長期的な結果は、実のところ複雑きわまりないものであることが判明する。致命的なまでに重要な初期の数カ月間にスターリンがしてくれなかったことについて、中国は恨みを抱き続ける。そしてこうした怒りの感情が数年後の中ソ決裂の要因になったのである。しかし、おそらくそれ以上に重要なのは、中国の参戦がアメリカの国家安全保障問題に対する見方に深甚かつ永続的な影響を与えたことだった。それが究極的な推進力となってできたのが、1960年の国家安全保障会議秘密会議報告(NSC68)に盛られた構想だった。それがペンタゴンの影響力を飛躍的に増大させ、アメリカを以前よりもはるかに安全保障志向の強い国家に変身させたのである。

 もちろん、金日成も誤算をした。アメリカが韓国を守るために部隊を派遣することはないと判断したばかりか、自分自身の声望とその革命とをめぐる神話のゆえに、北の部隊が南に乗り込めば、南部の20万人の農民が一致団結して立ち上がると確信していた。金日成は国を統一できなかったばかりではない。アメリカに韓国の重要度を格上げさせたのである。アメリカは軍事的に韓国を守るだけでなく、戦後の時期に財政的に成長を支援し、北朝鮮を足元にも寄せ付けないような、生存力にあふれる韓国社会を育てた。戦後から50年たつが、韓国にはいまもアメリカ軍部隊が駐留している。そして韓国は発展途上国の経済的指針ともいうべきものになり、1980年代末にはその経済がソ連自体をはるかに上回る活力を具えるにいたった。それに対して北朝鮮は、相変わらず悲惨で冷酷な取り残された場所であり、全体主義と経済的貧困、そして外国嫌いの国のままである。