実験の民主主義(著:宇野重規)

前書き

 

 現代社会において、民主主義はあたかも「終わった」かのように語られる。目立つのは民主主義の原則をいとも簡単に踏みにじるポピュリスト指導者たちと、それを熱狂的に応援する支持者たちである。また、名ばかりの選挙を口実に、あるいはそれさえ抜きに権力を行使する権威主義国の独裁者たちである。かろうじて民主主義を維持している国々においても、国内における世論の分断は拡大するばかりで、危機を乗り越えるための合意にはほど遠い。どこを見ても、民主主義は「死んだ」、「壊れた」、「奪われた」、「失われた」、そして「操られている」と言わざるをえない。

 

編集者

若林恵「編集者は最初の読者だ」という言い方があるのですが、編集者は、言ってみれば著者と読者の間を取り持つ仕事ですので、専門性に傾いて著者と同化してはダメですし、コンテンツを度外視して読者と同化してもダメだったりします。少なくとも一般書や雑誌の編集においては、どんな分野においても、いい意味でアマチュアでないといけない。「アマチュアであることのプロ」であることが求められます。

宇野重規 面白いですね。特定の分野の知識をものすごく持っている編集者が、必ずしもいい編集者とは限らないですよね。編集者の価値はむしろ、著者が持っている固有な視点や知識を、社会のなかでどう有用化できるのかを考えるところにあると思います。加えて、そうした観点から、著者を社会にプロデュースすることです。
 学問の専門家というのは、強固なアカデミズムのなかで洗練や卓越を競っています。ですから、それは必ずしも社会的有用性とは直結していません。むしろ、そうでないことに意義があるわけですね。それがただちに社会に役に立つかどうかは、専門家の評価基準として間違っていると思います。むしろ、それぞれの学問に、その学問なりのディシプリン(専門性)による自己規律があって、卓越の論理があります。そこにおいてプロであることおが、専門家であることの誇りです。だからこそ、専門家を社会に結びつける最初の人として、編集者が存在する。